戦後50年以上を経て、これまでにないほど農村と都市は乖離してしまったのではないでしょうか。一方、普段の生活で実感することは少ないのかも知れませんが、これまた、実は生活のあらゆる分野でこれまでにないほど農村と都市は密接に結びついてきたのではないでしょうか。
 この一見この相反する事態が同時に存在するという矛盾した状況が、正に現代社会であると思います。例えば、「食べ物」を例に考えると、地方農村部から都市部へ流入している食料はこれまでにないほど増えていることを考えれば、その関係は極めて密であると言えます。しかし、現実にその食べ物の原点である農村・農家に思いを巡らせる人が、またはどんな人が食べてくれるのかということに思いを巡らせる人が、どれほどいるのかということを考えると、特に、具体的に相手を意識した関係は極めて限られた人の関係の中でしか存在していないのが現状であり、全体としては大きく乖離してしまったと思うのです。
 私は、これからの日本の発展はこの農村と都市の関係をどう構築していくのかが、大きな鍵を握っているものと考えています。お互いが自分のみによって成り立っていると錯覚しているのではなく、お互いがお互いによって成り立っているという感謝の思いがあふれるような日本社会を目指していきたいと考えます。そのためにも、国に何かを求めるというのではなく、宮城県自らが、各市町村と共に、農村と都市の具体的な関係づくりに汗をかいていかなければなりません。
 いわゆる一時的な交流や観光で、一時的な交流人口・観光人口が増加したということではなく、また、これまでの主に自治体同士の姉妹都市関係ということでもなく、地域と地域や、商店街と農村・組織と組織・個人と個人等々で、継続的・親密的かつお互いを必要とし、お互いを生かしあう関係をつくることが欠かせないと思うのです。県政においても、そのような視点を持って、具体的な農村と都市の関係づくりを支援していくことが大切です。今後、具体論としての「農村と都市の縁結び計画」を考えていきたいと思います。

宮城県議会議員 中島源陽(もとはる)