時は、一気に進むのですが、私が28歳の頃に、大崎広域行政事務組合の「大崎ふるさと市町村圏計画」のソフト事業の検討をするために「大崎50人委員会」が設置され、私も当時の岩出山町からの委員として参加させて頂きました。その翌年には、大崎中の仲間と共に「大コミュニティーカレッジ」を設立して、「大崎わんぱく探検隊」等の事業を行い、そして、その数年後には「大崎学推進事業大崎実行委員会」で大崎の子どもたたちとミュージカル「おおさきワンダフルストーリー」に取組み、さらに数年後には「大崎学研究会」の仲間と「大崎いちばん大賞ハンドブック」を作成しました。その際には、多くの皆様から767件の大崎のいちばんという宝の応募を頂きました。市町の枠を超えて色々な方々と喧々諤々しながら、様々な事業に取り組んだことは、私にとって忘れることのできない人生の財産であり、私自身そうした体験を通じて「大崎」には多彩で魅力的な人々が活躍していて、キラリと光るたくさんの宝があり、未来に向けた可能性に満ちていることを学ばせて頂きました。
自分史の 中島源陽
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